2008年1月12日 (土)

俺はそんな純情に頑張れねぇよ。

さて、もう別に記念してないが第三回目いくぜ。

最近別に子供だけってわけじゃねぇ、大人だってそうだ。
頑張ることの意味を理解してねぇ。

とわいっても俺の考えでしかねぇんだが。
目的があり、そこにたどり着こうとするのがホンモンの頑張るだ。
現状維持に身を任せることなんざただの逃げさ。そんなんで胸はるな。そんな姿子に見せるな。
父に例えるなら10万稼いだら100万稼げ。
母に例えるなら今日の飯がうまいなら明日の飯はもっとうまくなれ。
子に例えるなら今日の行いの数段上を明日は行け。

別に難しい話しようってんじゃねぇ。ただし、やるからには自己の責任は頭に入れとけ。

つっても今日紹介する逸話はどちらかというと頑張りぬくことの大切さ的なことを説いてやがるな。まぁ、半分は俺も同意だがね。

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昔、ドイツにハンスという羊飼いがおりました。
ある日、ハンスの元に一人の狩人がやってきて、
「一番近くの村までどのくらいあるかね?」とたずねました。
「10キロくらいだよ」ハンスは答えました。「でも羊が通るだけの道だから、すぐに迷っちゃうかもしれないね。」

「困ったな。」狩人はいいました。「私を案内してくれたら礼ははずむがね。」

ハンスは首を振っていいました。「だめだよ、羊を残してはいけないよ、森に迷うだろうし、狼に殺されるかもしれない」

狩人はいいました「一頭や二頭殺されてもその分のお金は払うよ。それにお前が一生かかっても手に入れられない大金をあげよう。」

ハンスはいいました「ダメだね」「羊はご主人様からの預かり物なんだ。」

狩人はいいました「お前が案内してくれないなら、誰か他の案内人を連れてきてくれないか。その間私が羊を見てるから。」

ハンスはいいました。「ダメだね。あんたの声に羊はなれて無いだろうし。悪いけどさっきまでご主人様との約束を破らせようとした人に羊を任せるわけにはいかないよ。」

狩人はいいました。「まいった、お前がご主人様をそこまで思うように。私も家来をそれほどまでに信頼したいものだ。さて道を教えてもらおう、村へは一人で行く」

「あぁ、殿下!!」そのとき一人の兵隊が姿を現しました。狩人は一国の王子だったのです。

「ハンス」王子はいいました。「羊飼いをやめて私の家来にならないか?」

ハンスはいいました。「私のご主人様が、私の代わりの羊飼いを見つけてきたら、おっしゃるとおりにいたしましす。」

それからハンスは代わりの羊飼いが見つかるまでずっと羊飼いを続け。
それから先は王の下に永く仕えました。

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まぁ、どうだろうな。正直この逸話には突起点と疑問点、相対心理に関して疑問が多すぎる。俺みたいな曲がった性根の奴には曲がって見えるだろうよ。

俺なら速攻羊なんて全部取っ払って金だけもらって道案内するね。
と、まぁこんなことを思うわけだが、頑張るっつぅことは我慢することでもあるわけだ。
これは辞書でもなんでも勝手に読め。

頑張り我慢し困難に耐え誘惑に耐え、その先に本当の成功が見えてくるもんだろうと俺は思うことにしておく。

綺麗なネーちゃんに声かけられてもその先にはもっとキレーなネーちゃんが。。
ま、俺は今の女でいいがなw

さて、次回はどうすっかな。宣言すんのも面倒になってきた。
次回は適当に紹介する。18禁にはならんから安心しとけ。

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2008年1月11日 (金)

他人を励ます余裕なんて無いね。

さて、今日も一日頑張りました。俺。
つってもここ最近はあまり忙しいほうじゃねぇから、
今のうちにブログ更新しとくかね。

んで、前回の宣戦布告どおり。今日の逸話はチャールズ・A・レイン夫人の足の不自由な少年の話からチョイスだ。何度も言うようだが、全部書くのは面倒だからちょい変更は生じてるからな。大まかな内容は同じだが。

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少年は小柄で、足が不自由でした。母は洗濯女で、二人は小さな部屋に住んでいました。
少年はいつも窓辺から景色を見ていました。小さく空の色が見えるのが面白かったのですが、もっと面白いのは通りを歩く人々です。

朝早くは勤務先へ急ぐ大人たちで賑わい、その後子供たちが集まってきて遊んでいますが、大抵は喧嘩になっていました。

少年の小さな悲しそうな顔はいつも窓辺にありました。
母が帰ったときだけ、少年は微笑んで手を振りました。

「お母さん、僕も手伝えればいいのに。こんな体じゃなきゃ、お母さんに楽をさせてあげるのに。僕は何もしてあげられない」
母は言いました。
「そんなことありませんよ!窓から微笑みかけてくれるでしょ?手を振ってくれるでしょ?おまえがそこにいててを振ってくれると思えるから母さん頑張れるのよ?」
少年は言います。
「じゃぁ、僕。もっと一生懸命手を振るよ!」

次の日、いつものように母に窓際から手を振ると、通りかかりの疲れ果てた労働者が、母につられて上を見上げました。
すると、高いところの窓辺から少年の小さな痩せた顔がのぞいていました。
なんと陽気な微笑みでしょう!労働者は思わず笑いながら帽子を振ると、少年は恥ずかしながら挨拶を返してきました。

また次の日、労働者は仲間を肘で突いて、「窓辺にじっと座っているかわいそうな小さな男の子」を一緒に見上げました。二つの帽子が振られると、また輝くような笑顔が帰ってきました。

こうして日に日に少年は友達が増えてきました。少年の退屈な生活を思えば、自分の生活など対して苦ではないと思えたのです。
少年のもとには花やオレンジや絵が送られてくることもありました。喧嘩している少年たちは自分達を見て微笑む少年を見ると、喧嘩を止め楽しそうなゲームをして遊びました。
自分達が楽しむと少年も楽しそうな顔をするのが嬉しかったのです。

ある日、疲れきった労働者が母親にいいました。
「ぼうやがいなけりゃ、やっていけなかったと伝えてくれ」
「へこたれない心こそ立派なんだ、おかげで、俺たちみんなもへこたれないでいられる。そう伝えてくれ。」
もちろん、母は少年に伝えました。

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まぁ、例によっていい話&理想論だな。

昨日紹介した話とかなりかぶるが、マックのスマイル的な発想、俺は嫌いじゃないな。
有物、有価、有益な贈り物より、
無償、無形、無意味な贈り物の方が本当にうれしいときもあるってね。

お、これ、今俺名言発しちゃったw?

こりゃぁ、彼女に贈り物をするときはスマイルを差し出すことにしよう。
殴られそうだがw

まぁ、これの極論いえば、いじめられても孤立しても笑顔を振りまいていればそのうちお友達100人達成さ、せいぜい頑張れ。

確かに、最近は「俺どうせだめっすから。。」とかうぜーこと言って、「寄るな」といいたくなるようなヤツ多いよな。自分、平々凡々でOKっす。どうせだめっす。うぜー。くさい。って上げればキリが無いが。
確かにそんなヤツがどんなかっこよくても、どんな美人でもみすぼらしくしか見えないね。
ま、俺は違うがねw俺、天才君だし、美形だしwうわぁ、痛い子みてぇーw

とりあえず、笑顔でいるか。明日から。

 

んじゃ、次回はどうすっかな。

エラ・ライマン・カボットの改作を紹介するかな。
てめぇら、頑張るってどゆことかわかる?つぅ話だな。
近年の垢抜けた少年少女にはぴったりのお話だぜ。

そして、今日も俺の心針は狂ってる。

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2008年1月 9日 (水)

聖人?んなヤツほんとにいるのかよ。

今日からこのブログをスタートすることにしたsousiって者だ。
以後よろしくを通り越してコトヨロ。

まぁ、大まかなこのブログの趣旨に関してはプロフィールでもみてくれや。
バーっと説明するのも正直面倒。あー面倒。はい面倒。というわけでいくぜ。

さて、記念すべき第一回目の逸話はジョエル・H・メトカーフって人の作品の改正版からチョイスだ。

まぁ、この話は簡単にいうと本当の聖人ってどんなヤツよって話だな。
聖なる人。俺の考えとは逸脱した存在だが、一例として捕らえてくれればいいと、正直思っている。

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むかし、ある洞窟に隠者が暮らしていました。
草木の根を食べ、寝る間も惜しみ祈りを捧げ、聖書を読んでは更に祈り。
祈り・断食・寝ずの行こそが聖者への近道。そう信じて疑いませんでした。

あるとき思いました。「自分はどれだけ聖人に近づいたのだろう」
隠者は祈りました。「神様、自分より神聖さを持ち合わせた者に合わせてください」
天使は言いました。「明日ここから一番近い街で道化師に合いなさい、毎日手品や漫才など行っています。」
自分より神聖な聖者はいないと思っていた隠者は自尊心が傷つきました。

翌日、隠者は街へ出ました。
天使の言ったとおり、街では道化師が手品や漫才やなんやら披露しており、終わると帽子を脱ぎ、小銭の施しを受けていました。
隠者は罵りましたが、天使の言ったことだからと道化師に尋ねました。
「お前はどのような善行を行い祈りをささげ欲を絶ったのか」と
すると道化師は言いました。
「ご冗談を、私は祈り方を忘れ善行など身に覚えはありません」
「ただ一つ、昔話をすると私は以前お金持ちでした、父の遺産を譲り受け。不自由無き生活を送っていたある日、近所で女性が倒れているではありませんか。どうしたのかたずねると、借金のかたに父、子を連れていかれ、今借金取りから自分も奴隷にされかかったのを逃げてきたそうです。」
「そういう事情であれば、私にできることは一つです。父子母の自由を買うしかありません。私は全財産はたいて買いました。おかげで貧乏になりましたが。”あの場では誰もがそうしたと思ったので”、いまや忘れかけていた昔話ですけどね。」

隠者はその昔話に出て忘れかけていたたった一度の所業が、この者を聖者へと近づけたと確信しました。
「たとえこの道化師が忘れても、その所業は神がしっかりと覚えているのだ」
私のやってきたことは自己満足に過ぎなかったのではないか。そう考えるようになり、隠者は祈るときに誰かの役に立てますようにと祈りました。ただし、それでも隠者は相変わらず洞窟に引きこもって暮らしていました。

10年がたちました。隠者はすっかり清らか聖人として有名になっており。また神に祈りました。「自分より高位な聖人に合わせてくれ」
天使が同じように降り立ちいいました「近くの農場に住む二人の女性に合え」聖者はさっそくその農家のところへ向かいました。しかし、どうでしょう。その二人から幾度話を聞けど、「申し訳ないことに我が家は貧しかったし、忙しかったし、人様のお役に立てるような行いをする時間が取れませんでした。だから私たちは本当に聖人なんかではありません。夫はすでに他界し、今は娘と二人暮らしですが、それも皆が通る道。本当に普通の人生でしたよ。」となんども笑顔で言うではありませんか。幾度聞けど答えは同じ。
途方に暮れた隠者が帰ろうとしたとき、隣家の人に「この家の人たちはどんなひとだ?」と聞きました。すると
「この家の人達ほど良い人はいない。どんなに忙しくても、どんなに苦しくても、どんなに貧しくても。いつも笑顔で優しい言葉をかけてくれる。そんな毎日を送っている人たちです。」
隠者は悟りました。

神に仕える道はいくつもある。教会などで祈りを捧げ、洞窟にこもるものも入れば、路上で困り果てている人に手を差し伸べ、救う人も。そして、粗末な小屋に住みながらせっせと働いて子育てしながらも、周りに優しい言葉をかけてあげることができるひと。
最も困難な道はどれだろう。最も誠実で正しい道はどれだろう。
わかりきっていることだった。

■■■

とまぁ、こんな話だな。

なーんか、始めの方の道化師が江頭とかぶるんだよね。
あいつの名言に確か、
「俺は目の前に悲しい顔したヤツがいたらどんなことをしても笑わせる。
そのためなら馬鹿にされてもいいし、死んだっていい。」
あいつの株上げたいわけじゃないから別にどうでもいいのだが。(下品なのヤだし)
まぁ、考え方自体は突起して間違っちゃいないと思った。

「聖人」現代語で言えば普通に「良い人」だろうな。

周りにいる「良い人」ってどんなヤツだろうかな。
カラオケ行っておごってくれるやつ。まぁ、良い人だな俺、最近金欠だし。
タバコの火がつかないとき、ライター貸してくれる見知らぬ人。これも良い人なんだろうね。
ただ、やっぱこういう類だとどうしても見返りをどこかで期待する。つかするなって方が無理だ。人間だもん♪(ハートw)

ただ、まぁ。

学校で花壇に水やってるむさいけど笑顔の校長とか。
アルバイトでマック入って本気でスマイルやってる女性店員とかの方が、
もしかしたら本当の「良い人」なんかもしれんね。

ま、取り急ぎ俺も明日からナイスガイスマイルで美を撒き散らして歩くかなw
怒怒しながら歩くよりいいだろって話ね。んで、周りも感染しやがれってな具合かな。

んじゃ、次回はチャールズ・A・レイン夫人の足の不自由な少年の話でもするかね。
人様をはげまそーって話だな。結構今回の逸話とかぶるが。。。ま、いっか。

そして、今日も俺の心針は狂ってる。

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